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宮川町 |
宮川町の歴史 ![]() |
| HISTORY OF MIYAGAWA-CHO |
| 町並み形成の沿革 建仁寺は1200年前に開かれた最古の禅宗寺院であり、境内 地を取りまくように現在の市街地が形成されている。16世紀の 後半、豊臣秀吉が方広寺、伏見城を築いたことにより、大和大 路はにわかに人の往来が増え、その街道沿いに町並みが出来 ました。 現在の宮川町地域は、当時広大な鴨川の河原であったとみら れ、町並みの由来は「四条河原祇園社ノ前ニアルニヨリ宮川 トイウ」とも「宮河というには鴨川四条より南の別号なり」等と諸 説がある。四条通りの鴨川南は、ここで毎年、祇園社のミコシ 洗いが行われているので宮川と呼ばれ、この川筋に出来たの が宮川町である。 今でも「宮川筋×××丁目」と呼ばれているのは、河原に発展 した、筋−通路であったためである。寛文六年(1666) 宮川町 通りが発展し、寛文十年(1670) 鴨川護岸の石積みが完成し、 急速に宮川町の町並みが整い、当時歌舞伎の流行とあいまっ て、茶屋町として発展していった。宮川町に水茶屋が建ち、渡 世を許されたのは寛延四年(1751)の事であった。 当時、数多く立ち並んでいた芝居小屋が、たび重なる火災によ り焼失したのが原因であったといわれる。 文献 : 「花街志」「宮川町沿革史」 より |
夕暮れの宮川町 ![]() |
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| 紋章の由来 三つ輪は、芸妓育成機関の女紅場が府立となったおり、寺社、 町家、花街の三者が合流して学校施設とした記念とされてい ます。明治中期から使用されており、一説には、宮川の故事 から三体の神興を象徴したとも、宮川のみやを語呂の合う三 輪として考案されたともいわれています。 文献 : 「京舞妓 歳時記」 東方出版 より |